Uncategorized

自分らしく生きるとは?自由とは?自分の人生に深く向き合ってみよう

otrm_grks

「自分の人生を生きる」「自分の人生は自分で決める」

これらの思想・考え方を「リベラル」と呼びます。

「個人の自由」や「自己決定」を重視する考え方が、「リベラル」です。

「リベラル」とは?

① 政治的に穏健な革新をめざす立場をとるさま。自由主義的であるさま。 **② 社会の規律や習慣、権威などにとらわれないさま。自由であるさま。

コトバンクより

「世の中の流れに囚われず、自由に生きましょう」というのが、リベラルの思想です。

「自由に生きろ」「自分の頭で考えろ」「やりたいことをやれ」というのは、自己決定や自由を強調するメッセージ。

しかしこれらの考え方が、現代人に迷いを生じさせています。

多様性の社会、「個」が尊重されるこの現代において、「自分らしく生きろ」というメッセージは、一見ポジティブな指針のように思えます。

その一方で、多くの人に混乱や困惑を生み出してしまう原因にもなっています。

いや「自分の人生を生きろ」とか、急に言われても?

これまでの人生で、私たち日本人は「誰かが敷いたレール」に従って生きてきました。

  • 義務教育
  • 進級
  • 進学
  • 受験
  • 就活

など、毎日何となく学校に通っていれば学年が上がり、やがて進学や就職に至ります。

そんな学校生活を送っているが故に、「自分の頭で考え、自分の人生は自分で決める」という発想すら、持つことはありませんでした。

特に幼稚園~高校までの期間は、毎日同じ時間に、同じメンバーで、決められた時間割に沿って学校生活を送るという、自由もクソもない状況で「拘束」されてきました。

「自分の人生を生きられない」全ての元凶とは?

学生時代にあった、「時間割」

あの存在が、諸悪の根源。全ての元凶だと思います。

  • 「月曜日のこの時間からこの時間までは、この科目を勉強する」
  • 「金曜日の6時間目に、この科目を終えてから、土日休みに入る」
  • 「昼休みは絶対に、この時間に取る」

「自習の時間」すら決まっていますからね。

「自習」というのは、誰かに強制されるものではなく、「自らの意志で進んでやるもの」です。

勉強というのは「しなければならないもの」ではありません。「したいと思ったときにするもの」です。

って女王の教室のドラマで言ってましたけど、これは非常に的を射た意見です。

何のためになるのか分からない学校の勉強を、「この時間に自習をしなさい」と強制されて、自ら望んで主体的に勉強しますか?って言ったら、そりゃしないわな。

「この時間に、この勉強をしなさい」と、やりたくもない勉強を強制的にやらされる。

「時間割」とかいう「拘束装置」が、勉強嫌いの子を増やし、「自分の頭で考えられない思考停止人間」を生み出してしまう。

時間割に従って、とりあえず学校生活を送っていれば、「学力の良し悪し」に関わず、出席日数さえ足りていれば、よほどのことがない限り進級はできる。

そんなこんなで小学校→中学生→高校と進学し、高校や大学の最初の1~2年はただ何となく学校生活を過ごしているだけ。

そして3年目ぐらいになって突然、「で?将来何になるの?」「なんの仕事がしたいの?」とか言われても?無理でしょ。分からないですよね。少なくとも自分は分からないです。

で、親や学校の先生に「やりたいことがない」というと「全くこの子は・・」って、呆れ顔になる。言ってることがおかしいですよね。

「自分らしく生きろ」という呪い

「学校教育」という名の、人間の思考を殺すための「洗脳」を受けてきた我々にとって、自分自身が何を望み、どう生きるべきかを具体的にイメージすることが難しい。

学年が上がり、進学していくにつれて「やりたい仕事を見つけろ。将来の進路を自分で考えろ」と、急に言い出す。

でも、その前の学校教育では「みんなと同じように振る舞え。個性を出すな。」と言う。

社会に出る頃になったら「やりたいことをやれ。やりたい仕事を見つけろ。自分らしく生きろ」と言う。

とはいえ、職場や学校といったコミュニティに存在している限り、自分勝手な振る舞いはできない。周りに合わせることは必要。

こうして「周りの目を気にして、角が立たないようにしつつ、自分らしく主体的に生きる」という「無理ゲー」を突き付けられているのが、我々現代人です。

「自分らしく生きろ」と言われれば言われるほど、何をやっていいか分からなくなる。

自由だからこそ、多様性の時代だからこそ、選択肢が多いからこそ、逆に迷いが生まれてしまう。

「社会の期待」「周りの人間の評価」「世間体」「体裁」など、周りに合わせないといけないのに、「自分らしく生きろ」と言う。

これを「呪い」と言わないで、他に何と呼ぶだろうか。これが「自分らしく生きろ」という、現代の呪いです。

我々現代人は、そんな苦しみや葛藤、矛盾の中に生きています。

1億通りの「夢」が、必要になる

さらに、誰もが「自分らしく生きよう」とした場合、この国の人口で考えると、約1億通りの「自分らしい人生」が必要になってしまいます。

家族や職場、友人関係といった共同体に所属し、日常生活をそつなくこなした上で、「1億通りの中から自分らしい夢を見つけ、その通りに生きろ」という方が、土台無理な話。

「学校教育」という「監禁生活」を送ってきた我々と、この現代社会の「自分らしく生きる」というリベラルな思想は、相反する存在です。

ありがちな話ですけど、「自分の人生を生きる」ためには、自分自身の内面に目を向け、自分の本当の心に耳を傾けることが必要です。

社会の期待や過去の経験に縛られず、自分が本当に望む人生を模索し、進むべき道を見つけることが大切。

他人の評価や世の中の流れに囚われることなく、自分の価値観に従って、忠実に生きることも重要・・・とか言うけど、それができたら苦労しない。

試行回数を増やす・行動量を増やすしかない

とはいえ、「自分の夢・やりたいことを見つける方法」はあります。

興味があることを、全部やるんですよ。試行回数を増やすんです。

ブログでもWebライターでもYou TubeでもTikTokでもwebデザインでも動画編集でも動画撮影でもカメラでもハンドメイドでもプログラミングでもせどりでも転職でも起業でも独立でも、とにかく興味があることを全部やるんですよ。

そうすれば、見える世界が変わるから。今まで見えなかったものが見えるようになるから。

今はどんな分野・ジャンルでも、必ず先駆者がいて情報発信をしています。

スマホ一つであらゆる情報が手に入り、SNSでたくさんの人と繋がれて、気軽に新しいことに挑戦できるこの現代社会で、「やりたいことがない」っていう方が、本当はおかしいんですよ。

もちろん、人生をどう生きるかは個人の自由だし、「人生変えたい」とか「成長したい」「新しいことに挑戦したい」みたいな価値観を、全員が持っているわけではありません。

というかそっちの方が少数派です。

人間は変化を嫌う生き物なので、「新しいことに挑戦するのが怖い」という感情を持っているのが普通です。

「自分らしく生きる」というリベラルな思想と、「変化を嫌う人間の本能」そして、「やりたいことを見つける方法」

矛盾するこの現実にどう向き合うかは、自分で決めることです。

自分の人生を生きるとは「究極の自己責任」

「自分らしく生きよう」とすればするほど、周りと価値観が合わなくなります。

世の中の9割ぐらいの人は実際に行動しないみたいですよ。

やりたいこともやらず、何の勉強もせず、分からないことを調べもせず、毎日「スマホだ」「ゲームだ」「SNSだ」「アマプラだ」「飲み会だ」「お買い物だ」「TikTokだ」「You Tubeだ」と、ただ毎日何となくボケーっと過ごして、世間の流れに身を任せたまま、適当に日常生活を送っているのが、「世間一般の普通の人」です。

それを全部断ち切って、自分の頭で考えて主体的に行動するというのは、「周りに合わせない」生き方。

失敗しても、誰のせいにもできませんから。自分の頭で考えて、自分で決めて主体的に行動するんだから、責任は全部自分にあります。

「自分らしく生きる人生」とは、言うなれば「究極の自己責任」です

だからこそ、SNSで誰かの批判をしたり、しょーもない飲み会で上司や会社の悪口を言ったり、何か悪いことが起きたときに「誰かのせい」「会社のせい」「国のせい」「時代のせい」にするのは、楽なんですよ。

そうすれば、自分の自尊心は満たせるから。自分は傷つかなくて済むから。

そうやって「自分は何もせず」に周りに合わせたまま、何となく生きるか?

それとも「究極の自己責任」の価値観のもと、主体的に行動するか?

それを決めるのは自分ですね。何故なら我々は「自由」だから。

「自分らしく生きられない人」の存在を、忘れてはならない

この記事を読んでいるあなたが、「自分らしく生きたい」と願えるなら、それは幸せなことです。

経済的・家庭的・問題で、新しいことに挑戦したくてもできない人もいるでしょう。身体的・精神的な障害で、そもそもまともな日常生活が送れない人もいるでしょう。

だから「自分らしく生きたい」「新しい人生を歩んでみたい」と思える時点で、実は恵まれた環境にあります。自分らしく生きられるなら、それは「自分らしく生きられない人」の犠牲の上に成り立っていることを忘れてはなりません。

誰がどう考えても、この世に「格差」はあります。

  • 容姿
  • 体型
  • 年収
  • 学力
  • 親ガチャ
  • センスや才能

生まれ持った環境や状況は人それぞれ違います。格差はあるし、不公平な世の中。これは絶対に覆せない事実です。

全員が「自分らしく生きる」ことは不可能

「やりたくないけど、世の中に必要な仕事」に就いて、世の中を支えてくれる人がいます。

  • ゴミの収集とかしたいですか?
  • トイレの浄化槽の汲み取りとかしたいですか?
  • 転落死や感電死の危険があるなか、電気工事の仕事をしたいですか?
  • コロナに感染するリスクがあるなか、医療従事者になりたいですか?
  • 犯人に殺されるかもしれない危険のなか、警察官になりたいですか?
  • 住民の罵声を浴びながら、公務員の仕事をやりたいですか?
  • 事故死の危険のなか、運送や配送の仕事をやりたいですか?

特に「エッセンシャルワーカー」に分類される仕事は、「やりたくないけど、世の中に必要な仕事」に分類されるでしょう。

https://jinjibu.jp/keyword/detl/1156/v

もちろん自分の仕事に、やり甲斐や誇りを持っているエッセンシャルワーカーの人はいるでしょう。

世の中を支えてくれる重要な仕事なので、「人々の生活を守る」という使命を持っている人もいるでしょう。

そういう人は本当にすごいと思います。自分には無理です。

水道をひねれば水が出てくる、スイッチを入れれば電気が付く、1000円払えば、コンビニや吉野家でお腹いっぱい食べ物にありつける。

Amazonでポチれば、翌日には荷物が届く。

私たちが何不自由なく日常生活を送れているのは、エッセンシャルワーカーの人たちの支えがあってこそ。

そのことを忘れてはなりません。

「リベラルな思想」に従い、誰もが「自分らしく生きようとする」と、「やりたくないけど、世の中に必要な仕事」に就く人が、いなくなってしまいます。

「身の危険」や「精神的苦痛」に耐えて、私たちの生活を支えてくれている人の存在を、忘れてはなりません。

この国に生まれた時点で勝ち組

「毎日食べ物が食べられて、屋根付きの家があって、着る服もある。一人一台スマホを持っている」

この時点で、本当は勝ち組なんですけどね。

このことに気付いている人は少数派でしょう。

何だかんだ言ってこの国は恵まれています。

格差はありますが、それはどこの国でも同じでしょう。

未来は本当に分からない

  • AI時代の到来
  • 人類史上未曾有の超高齢社会
  • 止まらない少子化
  • コロナショック
  • 物価高騰
  • ウクライナの「例の戦争」

さまざまな「不確定要素」が入り交じり、未来は一体どうなるか?

本当にわかったもんじゃない。

とはいえ、「同じ会社に定年まで勤めて、結婚して住宅ローンを組み、子どもを産んで老後を迎える」という「誰かの敷いたレール」に沿って生きるよりは、遥かに面白いし、楽しみではあります。

しかしこの「自分の人生は自分で決める」という「現代の呪い」に悩み、苦しむ人もいるでしょう。

自分にできることは**「自分の頭で考え、自分で判断し、自分で主体的に行動する」**

やることはこれに尽きますね。

ABOUT ME
たま
たま
ライター&ブロガー
栃木県で配送系の仕事をしていたが、「このままの人生はイヤだ」と一念発起し、仕事辞めて上京。このブログでは、ワクワク感に溢れた楽しい人生を歩むためのヒントになるコンテンツを提供しています。 化粧品検定を持っているので、美容の記事も書きます。人生をより良くするため、見た目にキレイにしましょう!
記事URLをコピーしました