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【孤独と向き合う】一人になると時間や気持ちに余裕が生まれる

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3年ほど人と会っていません。

誰とも会わず、どこにも行かず、趣味・娯楽は諦め、恋愛もせず、飲みにも行かず、アマプラやネトフリも見ず、テレビも見ず、ショート動画も見ず、「世間一般の普通の人」がやっている時間の過ごし方は、一切やっておりません。

今はブログやWebライターの受講、読書などに時間を充てています。

その結果「人と会わない」と、時間や気持ちに余裕ができるということに、改めて気付きました。

「誰とも会わず、今自分ができることに注力する」と自己投資の時間が増えて、どんどん価値観が変わっていくことを実感しています。

この記事では、孤独になって自分と向き合うメリットや、そのデメリット。さらに「一生孤独でいるのは絶対に無理」という内容です。

「孤独とは?」「自分と向き合うとは?」などを一緒に考えていきましょう。

群れれば群れほど思考が停止していく

人間というのは、他人と群れれば群れるほど、どんどん他人の考えに染まっていきます。

いつも他人と群れていると、自分の頭で考えられなくなり、「誰かが出した答え」を求めるようになります。

楽ですけどね。「判断しない」「誰かの言う通りにする」というのは。それで失敗したら「誰かのせい」にできるし。

しかしそれでは、これからの時代を生き残っていくのは厳しいでしょう。気心の知れた友達との飲み会や、いつも一緒にいるパートナーと過ごす時間は楽しいもの。

私は「人を好きになる」という感覚がわからない人間なので、友達とワイワイガヤガヤする楽しさが分かりません。

孤独になって自分と向き合うのが好きです。

「孤独」については、「マコなり社長」の以下の動画が参考になるのでよかったらご覧ください。

他人といつまでも群れていて、「一人の時間を持たない」というのは、そのときの寂しさを紛らわすための短期的なドラッグ。

「一人が寂しいから」といって、誰かと会ったところで、それは「一人でいる寂しさ」を埋めようとして、相手を利用しているだけ。

誰かと過ごせば、そのときは心が落ち着くでしょう。楽しいでしょう。心の安らぎが得られるでしょう。

でも、「今日は楽しかったです。また今度!」って、お別れしたらまた一人になります

その寂しさを埋めようとして、次の日もそのまた次の日も、誰かとずっと一緒にいないと、落ち着かない。寂しい。いつまでも経っても、寂しさを紛らわすために誰と会うことになりませんか?

この世界に、「孤独じゃない人間」なんて、存在しません。日常生活では必ず「一人になる時間」があります。

その寂しさを埋めようとして、誰かと会って群れたところで、それは一過性の安らぎに過ぎません。

「寂しいから」といって誰かと過ごしても、家に帰って一人になったときに、逆に寂しさ増すのではないでしょうか?

もちろん「一人でいるのが寂しい」と思うのは当たり前ですし、「一緒に過ごす友達が欲しい」というのも普通です。

「友達といるのがダメ」とか「一人でいるのがカッコいい」という話でもありません。

しかし、一人でいる寂しさを紛らわすために「バカ騒ぎする友達」とか、「何となく飲み行く相手」のような人間関係って、必要なのでしょうか?

現代社会は「圧倒的な出会いの数に恵まれている

ニュースやSNS、新聞でも、「人々は孤独になっている」とか「孤立・孤立化が進んでいる」と報道されているのを見たことがありますよね。

そのため「孤独な人が増えている」と考える人が多いと思いますが、逆です。

今の時代、SNSで誰とでも繋がれます。

オフ会に参加すれば、友達や知り合いなんて、いつでもつくれる。「友達づくりの社会人サークル」とか、「ジモティー」のような「友達づくりのネット掲示板」を利用すれば、いつでも・どこでも・誰とでも繋がれる。

「副業を始めたい」「読書の習慣を付けたい「ダイエットをしたい」といった「一人で継続するのが難しいタスク」に関しても、それ専用のコミュニティや集まりが、ごまんとあります。

「街コン」「相席屋」「婚活パーティー」「街コン」などに参加すれば、「異性との出会い」はいくらでもある。

実のところ、人々は「孤独になる」どころか、「出会いに恵まれている」わけです。

ただでさえ、職場や学校での人間関係を構築していかないといけないのに、ネット上で「誰とでも・いつでも」繋がれる

毎週のように開催されるセミナーや講習、習い事でも「人との繋がり」を持てる。バーや居酒屋、クラブにいけば「運命の出会い」に巡り合える可能性もある。

LINEのオープンチャットを開けば、自分と同じ趣味や悩みを持った「仲間」が勢ぞろい。

実のところ、我々現代人は「孤独になる」どころか、「人類の歴史上、これまでにないほどの、『圧倒的な出会いの数』に恵まれている」のです。

出会いの数はむしろ増えている

だからこそ、「出会いに恵まれた現代社会」に生きているからこそ、「他人と関わりたくない」「人と話すのが面倒」と考える人が増えるのも、無理はありません。

上の見出しでも書いたように、我々現代人は「孤独になる」どころか、「圧倒的な出会いの数」に恵まれています。

それなら、「孤独を感じる人の割合」が増えているのは変ですね。出会いの数に恵まれるなら、孤独を感じる人は減っているはず。

今頃みんなハッピーなはず…

・・・・

「物理的に」出会いの数が増えているってだけの話で、それに伴って「素敵な出会いに巡り会えているのか?」というのは、また別の話。

現に「孤独を感じる人の割合」は年々増えているし、SNSで「キラキラした生活」を見せつけられて、孤独感や喪失感が増えている人が多いのではないでしょうか。

「孤独かどうか?」というのは主観的な感覚。実際に現代社会は圧倒的な出会いの数に恵まれています。

自分次第でいくらでも出会いは掴み取れるということ!

「情報の渦」「コンテンツの波」といった、情報過多の現代社会ですからね、いろんな情報に惑わされて、身動きが取れない人が多いのではないでしょうか。

その一方で、SNSを開けば「楽しそうな人たち」がウヨウヨいる。

その人たちと自分を比較して、悲観してしまい、孤独感を覚えるようなってしまう。

「一人になりたい人」が増えている

「一人は寂しい」「誰かと一緒にいたい」と言いながら、人間関係に疲れている人も増えてますよね。

実生活でもSNSでも、誰かと繋がってないといけない。「人間関係はコスト」なので、それを維持するためにはお金や時間がかかる。

定期的にLINEでやり取りをしたり、直接会ったりして、人間関係を維持していく必要がある。

「人付き合い」とは、言うなれば「人間関係のメンテナンス」繋がりを完全に断たない限り、いつまでもお金や時間をかけ続ける必要がある。

定期的に交流をして「メンテナンス」をしなければ、そのうち疎遠になってしまう。

だからなのか?

人間関係に疲れている人も多いですよね。

「ソロ充」や「ソロキャンプ」「一人旅」など、「一人で居ることに安らぎを得る人」も増えていますよね。

焚き火をしてゆらめく炎を眺める。絶景を目の前にしてのんびりとした時間を過ごす。
そんな優雅な時間を独り占めできるのがソロキャンプだ。

https://www.coleman.co.jp/special/solocamp

「焚き火を眺めて、絶景を目の前にして、のんびり過ごす」のが、ソロキャンプの醍醐味みたいです。

↑の記事の執筆者は、なかなか良い文章を書きますね。「一人を楽しむ優雅な時間」が、文章から想像できます。

「都会の喧騒や人間関係のいざこざを忘れて、自然の中でゆっくり過ごしたい」と、ソロキャンプや一人旅にハマる人が増えています。

人間の本能的に考えて、仲間と連携して獲物を狩り、子孫を残して一族を繁栄させる必要がある。

「他人との繋がり」は、人間として生きるためには欠かせないものですよね。

我々が今こうして生きているのも、両親やそのまた両親、ご先祖様のおかげ。

「子孫を残し、一族を繁栄させる」という人間の本能に従った結果、今ここに、存在しているわけです。

だとしたら、「他人と関わりたくない」「一人になりたい」と思う人が増えるのは、おかしいですよね。

「人間の本能」から考えて、この状況はおかしい

「子孫を繁栄させる」という、人間の本能にマッチしていない。

恋人や友人、「職場の人」「近所付き合い」「ママ友」や「町内会」といった「人との繋がり」をめんどくさいと思う人が増えるのは、何故でしょうか?

もちろん誰かとずっと一緒にいるのが楽しい人もいるでしょう。今の人間関係に満足している人もいるでしょう。

それでも、私も含めて「他人と関わりたくない人間」が増えているのは、事実ですよね。

何故でしょうか?

非合理的で矛盾した生き物。それが「人間」

人間というのは、つくづく矛盾した生き物です。

「誰かと一緒にいたい」と、群れたところで「人間関係なんて面倒くさい」「一人の時間が欲しい」と言う。

一人になったところで、今度は「一人は寂しい」と言う。

好き同士で付き合ったり結婚したはずなのに、喧嘩したり別居したり、離婚したりする。

「付き合うなら、結婚するなら、絶対にこの人しかいない」って、最初は思ってたはずなのに。

いつしか「どうして私のこと分かってくれないの?」とか「俺はこんなに頑張っているのに、全くお前ときたら・・・」とか言い出す。

相手に執着が生まれ、文句を言うようになる。

最初はそんなこと言ってなかったのに。

「一緒にいて楽しい友達」や「素敵な異性」というのは、最初はそうだとしても、時間が経つにつれだんだん慣れてくるもの。

仕方がないです。新鮮味や「気分の高揚感」などは、どんどん薄れていきます。

だからといって一人になったところで、「一人は寂しい」と言い出す。

どっちに転んでも、何かしらの悩みや不満・不安は生まれるものです。

それが人間です。

非合理的で、矛盾した生き物。それが「人間」

人は一人では生きていけない

とはいえ、人は一人では生きていけません。

私は人と関わりたくないし、一人が好きです。

「内向的で、内気で、人見知りで協調性がなくて、常識をこじらせた陰キャ人間」ですが、それでも一人では生きていけない。

「俺は一人でも生きていける強い人間だ」なんてのは、思い上がりです。

人間は会社・組織・家族・友人など、何かしらのコミュニティに所属していないと、生きてはいけません。

私はプライベートではずっと一人ですが、定職には就いているので「職場・会社」という「社会的な組織」に所属しています。

365日ずーっと一人でいたら、さすがに頭がおかしくなる。

仕事で誰かと話すことによって「あー自分も一応、社会・世の中の一員なんだな」って、実感しています。

人間である以上、人間と話すのが健全なわけですね。

「人類の歴史」「人間の本能」から考えても、「人は一人では生きていけない」という事実が見えてきます。

人類は約600万年もの長い間、狩りをして生活していたという。

https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=1214

人類の歴史は600万年の進化史でみれば殆ど狩猟採集時代 | 長谷川眞理子 | テンミニッツTV日本芸術文化振興会理事長 長谷川眞理子/自然人類学者で総合研究大学院大学副学長・長谷川眞理子氏が、ヒトの大きな脳と現代社会10mtv.jp

獲物を狩って食いつなぐためには、仲間との連携は必須。

子孫を残して一族を繁栄させるためにも、誰と繋がる必要がありますよね。

生き抜くために、子孫を繁栄させるために、「誰かと繋がりたい。一緒にいたい」という感情は、人間の本能に刻まれた「消せない烙印」です。

逃れることのできない、人の性(さが)です。

そういう風に、進化の過程で「設計」されています。

遺伝子に組み込まれているわけです。

その反面、ずっと誰かと一緒にいると、どんどん他人の考えに染まっていき、自分の頭で考えられない、思考停止人間になってしまうと。

ずっと一人でいるのは人間の本能的に考えて無理だし、ずっと誰かと群れているのも、また違う。

少なくとも、「寂しいから」とか「暇だから」とか「愚痴を聞いて欲しいから」とかいう、ワケのわからない理由で誰かと群れる時間が、何故あるのか?

私には分かりません。

今一緒にいる目の前の相手というのは、「限りある自分の人生の時間」を使ってまで、絶対に会わないといけない人物なんですか?

「一人でいる寂しさを埋める」ために、相手を利用していませんか?

誰と過ごすか?何を諦めるか?どの夢を捨てるか?何をやるか?

結婚するかしないか?

それらを全て、自分で決める必要があるのでは?

1年半ぐらい誰とも会わず、ずっと自分のやりたいことに時間を投下しています。

その結果「人と会わない」と、時間や気持ちに余裕ができるということに、改めて気付きました。

「誰とも会わず、今自分ができることに注力する」

「今この瞬間を生きる」

このことが、いかに大きな価値を持っているか、ご存知でしょうか?

自分自身と向き合う時間。趣味に没頭する時間。静かに考え事をする時間。勉強する時間。

これらはすべて、心の深い部分に触れ、自己理解を深める機会になります。

さらに「どこに行って、何をして過ごすか」「今日はどんなことをするか?」など、自分のペースで生活することができ、日々のストレスが軽減される「孤独」を、楽しみましょう。

現代社会に生まれたという「幸運」

でも「一人が寂しい」とか、「人間関係がツラい」とか、そんなことで悩めるのはラッキーだと思いませんか?

だって80年ぐらい前なんて、第二次世界大戦で戦争していたんですよ?

現代のように「街コンや婚活パーティーに行って、出会いを求める」とか「セミナーやオンラインサロンに参加して仲間を探す」とか、「SNSでフォロワーを集める」とか、「一人が寂しい」とか、それどころじゃないでしょ。

我々現代人は、とてつもなく恵まれた時代に生きています。

戦時中に生まれていたら、20歳前後の若い男は特攻隊に選ばれて、敵の飛行機や船に突っ込んで、命を落としました。

「戦時中に生まれた」という「偶然」で、「国のために死ね」と言われるんですよ?

神風特攻隊――現代の若者たちはどうみているのか – BBCニュース第2次世界大戦中に何千という日本人パイロットが、天皇の名の下で死ぬのを承知で飛行機ごと敵に突っ込んでいく神風特別攻撃隊に志www.bbc.com

特攻隊の数少ない生き残りである男性に、インタビューをした記事を見つけました。

記事によると「国のためになんて、死にたくなかった」とのこと。

それはそうですよね。

家庭がある人もいるのに、何で特攻隊として敵船に突っ込まないといけないのか。

「お国のため」と銘打った、「体(てい)の良い集団自殺」ですよね。

しかし、ほとんどが17~24歳だった特攻隊の全員が当時、「国のために死にたい」と心から思ったのだろうか?


数少ない生存者である90代の2人に話を聞いたところ、答えは「否」のようだった。

「六分か七分は天皇陛下のためにと思っただろう。あとは、なぜやらないといけないのだろうと疑問を持った人も多いんじゃないか」。山田斂さん(94)は名古屋の自宅でこう話してくれた。山田さんは出撃する前に、終戦を迎えた。

https://x.gd/XMoHf

我々は「たまたま偶然」この現代社会に生まれただけです。

そして、治安が良くて公共サービスが行き届いていて、充分にインフラも整備されている、この日本に生まれたという「幸運」に恵まれただけ

80年ぐらい前に生まれていたら、戦死していたかもしれません。

ウクライナに生まれていたら、「例の戦争」で死んでいたかもしれません。

貧困国に生まれていたら、餓死していたかもしれません。

アメリカに生まれていたら、銃殺されていたかも。

黒人に生まれていたら、迫害されていたかも。

そう考えると、「一人が寂しい」とか「人間関係がツラい」とか、そんなことで悩めるのはラッキーだと思いませんか?

孤独になって自分と向き合うも良し、友達とワイワイ騒ぐのも良し、どこに住もうが何の仕事をしようが、我々は自由です。誰もが自分らしく生きられるこの素晴らしい現代社会をもっと楽しみませんか?

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たま
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ライター&ブロガー
栃木県で配送系の仕事をしていたが、「このままの人生はイヤだ」と一念発起し、仕事辞めて上京。このブログでは、ワクワク感に溢れた楽しい人生を歩むためのヒントになるコンテンツを提供しています。 化粧品検定を持っているので、美容の記事も書きます。人生をより良くするため、見た目にキレイにしましょう!
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